1 思考の道具としてのタイプライター くまきち
内容のまとめ
人間の思考へのテクノロジー受容
例:書くという行為とタイプライター:新しい道具であるタイプライターを使った仕事は人間の思考作業なのか?
それぞれ異なるタイプライター観
ニーチェはタイプライターを新しい筆記具ととらえ、実際にタイプライターを購入していた。テクノロジーに対して受容的。
ハイデッカーはテクノロジーによって人間を支配すると考えた。
タイプライターは言葉を破壊し、書くということを手(言葉の本質領域)から奪い去る。
エズラ・バウンドはタイプライターを人間を解放する機械と考えた。
1880年代、モダニズムの芸術家のひとり。
新しいテクノロジーを導入することで、効率だけでなく思考作業の品質も変わってくる。
タイプライター的思考
タイプライターを含む19世紀末的な効率と生産性を可能にするシステムによる思考
全体の統一性を考えながらばらばらな部分を寄せ集めつないていく
タイプライターをペン代わりに使う思考のことではない。
部分をつなぎ全体を考え、資料はファイルにきちっと整理され、巨大な辞書が備えられている環境で行われる。
問題:事務職と管理職の分業。仕事の機械化専門化が進み、全体を見渡せなくなることの弊害?(ちょっとピンとこない)
限界:人間の思考はもっと複雑なもの
思ったこと・疑問
この本が発表された1991年にタイプライターの話をするのはどうしてだろう。
自分はその頃NECワープロ文豪Miniを大学(文系学部)のレポートを作るのに使ってた。
当時を思い出すと、紙で下書きを書いてワープロで打ち直しながら推敲してた気がする。
新しいテクノロジーを受容する態度って昔と今では全然違うと思う。今の目線になりすぎないことが大事。
「人間のすることだから人間性があり、機械を導入するのは人間性の喪失だ」なんてことは今でもよく聞く。